社会人で30代の時に読んだ本。阿川 弘之「米内光政」。

こんにちわ。

社会人になってから、読んだ本の中で50代になった今も記憶に残っている本を紹介しています。

30代の後半は出張が多くて、新幹線や飛行機の中、宿泊したホテルなんかでけっこう本を読みました。

その中の1冊。

歴史上の人物の本なんか普段はあまり読まないんですが、当時は社会人としてもかなり迷っていたようで、肝のすわった近代の人の伝記ものの本を結構、読みました。

その中の1冊が、阿川 弘之の「米内光政」でした。

著者の阿川 弘之さんですが、1920年広島県生まれ。

東大国文科を繰上げ卒業後、海軍に入り、中国で終戦。

戦後、志賀直哉に師事し、『春の城』、『雲の墓標』、『山本五十六』『米内光政』『井上成美』の海軍提督三部作などがあります。

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米内光政ってどんな人?

米内光政は明治から昭和期の海軍の軍人で政治家です。

1880年に岩手県で生まれます。

海軍兵学校,海軍大学校を卒業、日露戦争には電乗組として日本海海戦に参加しています。

砲術学校教官をへて1914年旅順要港部参謀となり,その後,第2艦隊参謀長,第3艦隊司令長官,第2艦隊司令長官,横須賀鎮守府長官を歴任しました。

そして1937年2月林銑十郎内閣の海相に就任し、同年海軍大将となります。

以後第一次近衛文麿、平沼騏一郎両内閣の海相に留任します。

1937年日中戦争が始まると、8月以後拡大方針に転換し、強硬方針にくみしたが、陸軍の日独同盟政策には山本五十六海軍次官、井上成美軍務局長とともに反対し挫折させました。

ですが、1940年予備役となって内閣を組織したが、親英米的であるとして陸軍や「革新派」の攻撃を受け、7月、日独伊三国同盟政策を進める陸軍の策謀で倒されます。

1944年太平洋戦争の戦局悪化のなかで現役に復帰し、小磯国昭内閣の副総理兼海相に就任、以後、海軍の解体まで鈴木貫太郎、東久邇宮稔彦、幣原喜重郎各内閣の海相に留任し、戦争終結と敗戦処理のために尽力しました。

スマートで穏和な人柄の人物であり、海軍穏健派のエース的存在であったと言えます。

小説について

この本は、海軍兵学校の席次は中以下、無口で鈍重といわれた米内光政が、日本の存亡をかけて、自らの手で帝国海軍七十余年の全てを葬り去るまでの半生が書かれています。

最後の海相の人物と識見を描いて、危機に際しての真の指導者とは何かを問う内容となっていますね。

作品中で何度も出てくるように米内光政はとにかく、寡黙でその心中を読み取りにくい人物であったようです。

終戦時の海相としての活躍についての記述は多くなく、よく言われている終戦処理の事情よりも、寡黙な中にも強い存在感を漂わす米内の人物像をエピソードをつないで描かれていると思います。

これはビジネスでも言えることですが、大勢が誤った方向に進んでゆくとき、いかに己の考えを偏らせないで一定に貫くという事が難しいか、米内のすさまじさを参考したいと思える本です。

最後までおつきあい、ありがとうございました。

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