阪神大震災の時の記憶。あのときは仕事で被災地の中と外を行ったり来たり。

こんにちわ。

ダメダメ社会人なぼくの30代のビジネスマン生活をふりかえっています。

ぼくは関西人で、職場も一応関西圏です。

よって、同年代の人ならわかるとおもいますが、30代の前半に震災を経験しました。

その時の仕事の話などをします。

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阪神・淡路大震災に遭遇した時

阪神・淡路大震災は、1995年(平成7年)1月17日に発生した兵庫県南部地震による大規模地震災害です。

この地震で近畿圏の広域で大きな被害が出ました。

特に震源に近い神戸市市街地の被害は甚大で、日本国内のみならず世界中に衝撃を与えました。

戦後に発生した地震災害としては、東日本大震災に次ぐ被害規模で、戦後に発生した自然災害では、犠牲者の数で伊勢湾台風の5,098人を上回りました。

もう、あの地震から20年以上経過したわけです。

当時、ぼくは神戸に住んでいました。

当時住んでいた建物の2階でしかもベッドに寝ていたのですが、今でも地震が伝わってくる地響きの音を覚えています。

朝の静かな時間帯だったこともあって、震源地の淡路島から地震が波のように伝わってくるのを感じました。

幸いなことに、ぼくの住んでいた建物は阪急電車の沿線よりも北側、どちらかというと山手の方でしたので、被災地の中でも比較的被害がすくなかったように記憶しています。

それでも、当時1000冊以上の書籍や雑誌、マンガなどを貯めこんでいましたので、それらの本棚が倒れて下敷きになりましたし、食器棚の食器は壊滅状態でした。

(出典:ウィキメディア・コモンズ photo by 松岡明芳 / CC by-sa 3.0)

とにかく生活を安定させることが優先

とにかくその時は周囲に危険がないかどうかを判断することが最優先でしたね。

住んでいた家の周りは多少、ガス臭かったのですがとりあえずは周囲の家の状況や火災が起きていないかを見て回りました。

電気もガスも水もきていませんでしたので、テレビでニュースを見ることもできませんでしたしね。

遠くを見るとあちらこちらに、火災らしき煙が見えましたし。

周囲の安全が確認できたら、次は食料と日用品の確保のために更に繁華街に降りていきました。

当然、朝早いのでどこもお店は空いていませんでした。

コンビニが多少機能しているようなしていないような。。。電気が止まっているので、商品を勝手に持って行ってって状態でしたね。

悲しいことにお店によっては、勝手に商品をもっていく光景が見られたり、後日となりますがありえないような価格で商品を売っている商店なんかもありました。

後でわかるのですが、神戸市の中心部分だけが鉄道を含めたライフラインが破壊されていて、孤立した状態だったようですね。

仕事の方はどうだったか

一方、仕事なんですがそんな状態でしたので当初は連絡もできず、無断欠勤状態でした。(笑)

最初の3日ぐらいは、そもそも世の中の状況がわからなかったですから。

そのうち、電気だけは復旧したのでテレビを見ることができるようになり自分たちの状況を知ることができましたよ。

そうこうするうちに、フットワークの軽い近所の社員が会社と個々の社員の家を行ったり来たりして連絡係をやってくれて、社員はみんな無事ということを知ると同時に1週間は休んでその後はなんとか出社してこいということになりました。

この時に住んでいたところからオフィスまでの通勤時間が1時間ちょっとかかっていたのですが、その時点で鉄道はJRも阪急も阪神もろくに動いていない状態。

いったいどうやってこのカオスから抜け出せというのか。。。って感じでした。

それでも1週間後、まだガスと水は復旧していない中、出勤することになりました。

鉄道も一部は動いていたようですし、ちょっと遠かったですが結構な距離を歩いて電車が動いているところまで歩いて行って通勤しました。

その時で片道3時間弱の通勤でした。

大阪の方に出てみると、テレビでは見ていましたがホントに普通の生活を皆さんされていて、あまりのギャップに唖然としました。

被災地以外は、ぼくらとは関係なく通常の生活が進んでいたわけです。

こりゃ、働かないと大変だ。。。

って思いました。

この時も、毎度のごとく自分の会社ではなくて、元請の他社さんのところに行って仕事をしていましたので、自分のところのオフィスよりもさらに遠くて、毎日片道3時間以上かけて通勤してました。

さすがに往復6時間は耐えられませんでしたが、そのあとどんどん、瓦礫が片づけられて交通機関の復旧も進んだので少しづつ通勤時間は短くなっていきましたけどね。

それでも、通勤のときに見る回りの光景は、とっても悲惨で被災地の内と外を往復するときにその後継のギャップに心が折れそうになりました。

ですが、仕事はそんなこととは関係なく進んでいくわけで。

なんとか、その時の仕事もやり切りました。

あまり、思い入れのある仕事ではなかったし、仕事そのものは順調に終わったのでそれはそれでよかったです。

それよりも、その災害をさかいにけっこう好きだった神戸の風景がその後、まったく様変わりしてしまったことを残念に感じたことを思い出します。

今回も最後までおつきあい、ありがとうございました。

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