社会人 30代になってから読んだ本。「粗にして野だが卑ではない」石田禮助の生涯

こんにちわ。

社会人になってから、読んだ本の中で50代になった今も記憶に残っている本を紹介しています。

30代の後半は出張が多くて、新幹線や飛行機の中、宿泊したホテルなんかでけっこう本を読みました。

その中の1冊。

城山三郎さんの「粗にして野だが卑ではない」石田禮助の生涯です。

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石田禮助って?

石田禮助(いしだ れいすけ)は日本の実業家です。

1886年(明治19年)静岡県の漁師の家に生まれます。

麻布中学校を経て、1907年(明治40年)に東京高等商業学校(のちの一橋大学)を卒業し、三井物産に入社します。

石田は取締役に就任するまで、シアトル、ボンベイ、大連、カルカッタ、ニューヨークの各支店長を歴任します。

大連支店長時代には大豆の取引で成功し、ニューヨーク支店長時代には、錫の取引で再び成功を収めます。

1933年(昭和8年)に取締役に就任、1939年(昭和14年)に代表取締役社長に就任します。

1941年(昭和16年)に三井物産を退社後、産業設備営団顧問に就任します。

1943年(昭和18年)に交易営団が設立されると総裁に就任しますが、戦後に公職追放となったため、国府津へ移り住み、そこで十河信二と出会います。

そして、1956年(昭和31年)に十河信二の依頼で日本国有鉄道監査委員長として実業界に復帰、1963年(昭和38年)には池田勇人首相からの依頼により第5代国鉄総裁に就任しました。

在任中は、自らを「ヤング・ソルジャー」と称して「公職は奉仕すべきもの、したがって総裁報酬は返上する」と宣言し、国民の支持を得ました。

当初は月10万円だけ貰っていて、さらに鶴見事故の発生後は、給料を1円も受け取らず、1年あたり洋酒1本を受け取ったそうです。

エピソードは色々ありますが、1969年5月の運賃値上げ法成立の直後、高齢を理由に総裁辞任します。

辞任後は再び晴耕雨読の日々に戻り、昭和53年(1978年)7月27日92歳にて亡くなりました。

「粗にして野だが卑ではない」石田禮助の生涯

城山三郎の小説「粗にして野だが卑ではない―石田礼助の生涯」ではそんな石田禮助の半生が描かれています。

タイトルからして、やんちゃな明治気質のビジネスマンの話ってことが想像できるようで、何かの書評で「ビジネスマンが読むべき本」として紹介されていたのでぼくも30代の時に読みました。

主人公の石田禮助は三井物産に35年間勤め、社長となった後、57歳で隠居。

しかし「パブリック・サービス(社会貢献)をやりたい」という長年の思いから、誰もが嫌がった国鉄総裁をなんと78歳にして引き受けます。

鶴見事故が起きた際、石田は「白髪を振り乱し」「嗚咽で弔辞も読めなかった」とのことで、情に厚いことがうかがえます。

「粗にして野だが卑ではない」とは、石田が国鉄総裁に就任した後、国会での初登院で言った言葉で、その際には「国鉄が今日の様な状態になったのは、諸君(国会議員)たちにも責任がある」と痛烈かつ率直に発言します。

また、別の国会答弁では「人命を預かる鉄道員と、たばこ巻きの専売が同じ給料なのはおかしい」と発言するなど、発言をめぐるエピソードには事欠かず、それらがこの本では生き生きと描かれています。

また、石田はそのほとんどを海外で過ごした人でかなりの合理主義者です。

合理主義者ながら、その冷たさを感じさせない人柄。

そして、道理のないことには迎合せず、私心を捨て、分け隔てなく接する。

言うのは簡単ですが、実行するのは難しいですよね。

とくに若い人に勧めたい一冊です。

タイトルにもなっている「粗にして野だが卑ではない」という言葉は、読む人によっていろいろ解釈できますので、本を読んだ後に、自分なりの解釈に思いをめぐらすのもいいと思います。

最後までおついあい、ありがとうございました。

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